萩原 朔太郎

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 西洋の風習では、その妻が良人と共に社交に出で、多くの異性と舞踏をし、宴会の席上で酒をすすめ、ピアノを弾き、唄をうたひ、文学を論じ、時に艶めかしき媚態を示して、人々の注意と愛情を惹かうと努める。然るに東洋の風習は、これと全くちがつて居る。我々の社会にあつては、すべてさうした女の仕事が、芸者と称する特殊な職業婦人に一任されてる。芸者等は、全くその目的からのみ養成され、我々の宴会や社会に於ける、一切の事務を受けもつてゐる。実に我々の日本人等は、芸者なしに一の社交や宴会をもなし得ないのだ。なぜなら我々の妻たちは、深くその家庭に押し込められ、純粋に母性としての訓育を受けてることから、全く社交上の才能を欠いでゐるから。つまり言へば吾々は、西洋人がその一人の女に課する二つの要求――家庭に於ける母性と社交に於ける娼婦性――とを、初めから厳重に分離されて、家庭には妻をおき、社交界には芸者をおき、夫々別々の分業観から専門に教育して来たのである。

 本書を書き出してから、自分は寝食を忘れて兼行し、三カ月にして脱稿した。しかしこの思想をまとめる為には、それよりもずっと永い間、殆ど約十年間を要した。健脳な読者の中には、ずっと昔、自分と室生犀星等が結束した詩の雑誌「感情」の予告に於て、本書の近刊広告が出ていたことを知ってるだろう。実にその頃からして、自分はこの本を書き出したのだ。しかも中途にして思考が蹉跌し、前に進むことができなくなった。なぜならそこには、どうしても認識の解明し得ない、困難の岩が出て来たから。
 いかに永い間、自分はこの思考を持てあまし、荷物の重圧に苦しんでいたことだろう。考えれば考える程、書けば書くほど、後から後からと厄介な問題が起ってきた。折角一つの岩を切りぬいても、すぐまた次に、別の新しい岩が出て来て、思考の前進を障害した。すくなくとも過去に於て、自分は二千枚近くの原稿を書き、そして皆中途に棄ててしまった。言いようのない憂鬱が、しばしば絶望のどん底から感じられた。しかも狂犬のように執念深く、自分はこの問題に囓じりついていた。あらゆる瘠我慢の非力をふるって、最後にまで考えぬこうと決心した。そして結局、この書の内容の一部分を、鎌倉の一年間で書き終った。それは『自由詩の原理』と題する部分的の詩論であったが、或る事情から出版が厭やになって、そのまま手許に残しておいた。

 書物に於ける装幀の趣味は、絵画に於ける額縁や表装と同じく、一つの明白な芸術の「続き」ではないか。彼の画面に対して、あんなにも透視的の奥行きをあたへたり、適度の明暗を反映させたり、よつて以てそれを空間から切りぬき、一つの落付きある完成の気分をそへる額縁に対して、どんな画家も無関心でゐることができないだらう。同じやうに我等の書物に於ける装幀――それは内容の思想を感覚上の趣味によつて象徴し、色や、影や、気分や、紙質やの趣き深き暗示により、彼の敏感の読者にまで直接「思想の情感」を直覚させるであらうところの装幀――に関して、多少の行き届いた良心と智慧とをもつてゐる文学者たちは、決していつも冷淡であることができないだらう。
 けれどもこの注文は、実際に於て満足されない事情がある。なぜかならば我等の芸術を装幀するものは、通例我等自身ではないからです。我等の為し得るところは、精々のところ他人の製作した者の中から、あの額縁この表紙を選定し指定するに過ぎない。しかもその選定や指定すら、多くの困難なる事情の下に到底満足には行かないのである。されば芸術品の表装は、我等の作品の一部分であるにかかはらず、その実我等自身の趣味に属してゐないもの、むしろ多くの場合それは他人の趣味に属してゐる。しかしてこの一つの奇異なる事実――それが他人の趣味によつて選定されるといふこと――が、美術品や文学書の装幀に於ける最も興味ある哲学を語るものではないか。なぜといつて私の所有にかかはるところの油画は、それが他人の描いたものであるにかかはらず、私自身の好みによつて、勝手に自由にその額縁を選定し、よつて以て私自身の解釈による芸術を眺めることができるからだ。